出会いと愛

10年前に出会ってる人より最近出会った人の方が心開けて深い話できることなんて無数にあるけど、あるからこそ、質の方が大事だ考えてた。でも、比較的最近に出会って深い関係になれた気がしていた時に自分が知らない過去のその人の手記を見せられると、自分が知らない時代の彼(以下、三人称は「その人」じゃなくて「彼」で書く。性別指定してないけど。てか英語でも日本語でも、一般的に性別を特定しない三人称ないのは不便。いちいちhe or sheと書くのは面倒だ!he or sheが生まれる前は全てheで纏めててそれが男性優位社会の象徴だとかで変わったらしい。人類をmanと言うのも馬鹿げている。すみません長くなりました)がいることが悲しくて過去の彼を知っている人が羨ましくなる。この青くて広い世界で無数に散らばった中から別々に生まれた2人の人間が引き合わせられることさえ奇跡だけど、もっと前から出会えれば良かったのに、もっと青臭くて素直な彼を、成長していく彼を隣で見ていたかったと欲張りにも思ってしまうこともある。

一期一会って月並みの言葉だけど人間の本質をついてる。生きていく上で出会えて良かったと思う人が増えていくほどこの言葉が身に染みる。その事に気付いたのは強い憧れをある人に抱いたまま別れて会えなくなってから。どんなに別れが辛くても、時間が経てば気持ちは薄れて唯の思い出に昇華される。持論だけど、人間の感情で最もはかないものは恋愛感情。ピーク時には他のどの感情よりも強くて脳を支配してるのに、何かがきっかけで一度消えれば当時の自分を客観的に冷静に見て引いてしまう。何であんなに好きだったんだろうって後から考えてもわからない。憧れや尊敬は簡単には消えない(少なくとも2年間は)し思い出せるけど、昔好きだった人に再会しても何も思い出せないことがある。

 

 

自分好きだった人が好意に値する人間だったのかどうかは熱が冷めてからじゃないと判断出来ない。追いかけてばかりでは見えない。1人の人間として対等に向き合って初めてわかる。彼の人間性が素晴らしい場合、恋愛感情(が何を意味するのか知らないので使うのが憚られるけど、まあ度し難い想い的な?)がなくなっても人として好きなままで大切な人であるのは変わらないし、なお特別。対照的に、熱が冷めて自分が夢中になってた人がちょっと人間性がよくなかった事に気づくこともある。

 

 

もし時間が経てばどんな感情も消えてしまうのなら、時間が全て解決するなら、私には何が残ってるんだろう。時間が経っても私が私であり続ける所以は?細胞も感情も変わるなら、何が私?脳?心?細胞が変わってもココロは身体の中の空間に浮かび続けているのかな。私の脳に一番今までの自分の積み上げてきたことが詰まってるけど、脳死したら私は存在しないの?身体が動かなくなったら魂は心は消えてしまうのかな。これまでに生命を得たもののそれらが在り続けてるのも怖いが、死が全ての終わりならなぜ生きているのか?(この文章は模試前に書いたもので、模試の円環的な時間感覚の文章で少し考えが変わったような、、)私が生きている間に何かを感じた事実は消えない。生きてて良かったと思う時があるのも事実。生きていないと感じれないことは確実にある。愛。

 

孤独があるからぬくもりを温かく感じられるように、人生でも辛い時があるから楽しい時に心から楽しいと思える。ずっと楽しかったらそれが当たり前になってしまう。この模試が異常に詰まってるキツイ期間にそう悟った。今はきついけどいつかそれ相応の良いことがあると信じて私は明日も生きます。 逸れたのでもどります。

 

人間は孤独だから愛を感じられるんだ。

 

人は「不死」を求めている。

人間にとって「不死」とは「産み続けること」である。その「不死=出産」のために愛が存在するのである。

 

 

こういう考え方もあるけど、もの哀しい。愛の存在理由なんてなくていい、知らなくていい。

愛があるだけで幸せだから、生きる理由になるから。

 

結衣 

うん。そう。私と絆はこんな変な法律がなくて、性別とかも関係なくて、好きな人のそばに、好きなだけいれるような世界でもう一度出会うの。それでね、寒い雪の日には二人で寒いねって言い合って、手を繋ぎながら歩くの、あとはね、嬉しいこととか悲しいことがあったら1番に絆にギュッてしてもらうの、、、

 

絆 、、そうだね。私たちはさ、ただ 好きな人と一緒にいたかっただけなのにね。

 

そうだね。きっとそうなるよ。好きな人と一緒に入れる世界で、私と結衣はもう一度出会える。

 

(友達が書いた劇の脚本から引用)

 

愛は当たり前の何気ないことを鮮やかに彩る。好きな人のそばにいるだけで本当に本当に幸せで、その世界を生きるだけで幸せなんだよ、きっとね