自然と共に生きる

自分の好きなことをする余裕がなく、生きるためだけに働くこともあるだろう。でも、その場合何のために生きてるの?何でそこまでして生きたいの?やっぱり目標かなあ。目標があればこの辛い状況も目標達成への過程で、ゴールに近づいているって感じられれば生きられるかもしれないが、、達成が絶望的になった時に生きる理由がなくなってしまう。今は東大合格という明確な目標があるけど、それが終わったら私の目標は何だろう?


そんなことを考えながら吉祥寺駅周辺を歩いていた時。人が多い場所で、私は割と歩いている人を観察してしまう。だから1人で歩く人混みは好きじゃない、誰かと一緒なら周りに関心持たないから気にならないけど。後ろから聞こえる会話も聞いて色々想像してしまうし、2人の関係性はどんなものなのか予想してしまう。これってすごい疲れるんだよね、当たり前だけど。見た人の表情が疲れ切っていたり眉間に皺を寄せたりしていると私まで疲れて、でも半分くらいの人は良い表情してないもんだなって感じる。誰かと歩いている人は良い表情の人が多いけど、その人たちも1人になったらああいう顔をするのだろうか。多くの人が1人で生きることには疲れているのだろうか。ああ、もう誰の顔も見たくないなって思って空を見上げると、雲が薄らと在る青空を白い鳥達が飛んでいくのが見えた。少なくとも私は、目標とか思考じゃなくて、こういう自然で感覚的なものに知らぬ間に生きる意味を見出しているのかもしれない。都市の喧騒からの逃げ道は自然にある。上を見上げれば誰もいない、無限に広がる空間。自然と触れ合える場所に行きたい。そして、ずっと上を見ていたら人とぶつかってしまうけれど、あなたにもあなたを救ってくれる広大な自然があるんだよ、と私は声を大にして言いたい。