自知、自信、努力

昨日共通テスト模試があって、今日復習をして考えたこと。読み返して論理の飛躍と話の混ざり具合が酷いなあって思ったけど直すの面倒なのでそのまま、、

私は先週くらいから「東大受験ノート」というものを書きはじめた。受験勉強の最中でしか感じないであろうことや模試の振り返りを書いている。裏表紙に担任助手に書いてもらったメッセージがあることで頑張れてるので既に大切な物になってる。それで今日もその手帳にそれぞれの科目の感触とかミスした点出来なかった点、じゃあどうすればいいのかっていうことを書いていた時、不意に自信が湧いてきた。何故か?

ここをこう改善すれば自分は必ず点数を伸ばすことができると確信したからだ。自己分析って、先の勉強計画を立てるのに役立つだけではなくて、自信を持つことにも繋がるものなんだって発見した!自己分析は自分の弱い部分に向き合わなくちゃいけないから正直気が進むものではなかったけど、今日からは自己分析を楽しくやれそうだ。

 

そして、これは受験だけの事ではないだろう。今は、合格点に辿り着くためには何が近道なんだろうって考えているだけだが、人生においてそれぞれ自分の理想像があるだろう(ぼんやりとでも)。現時点の自分が完璧だと思い自信に満ち溢れている人は滅多にいない。自信がないのは、それに関して自分に足りない部分があるから。逆に。自分にはこれができるってわかっている部分では自信を持てる。

 

自信を持つことの根底にあるのは自己分析である。自己分析をしなければ、自分が何が得意なのかわからない。わからなければ自信は持てない。また不得意な分野でも、今の自分は理想像と比べて何が足りないのか、その隙間を埋めるためにはどうすればいいのか。それを考えることで、「こうやって行動していけば必ず理想像に近づける」という自信が生まれる。ゴールが見えなくてもまだまだ遠くでも、自分が目標に近づいているという感覚こそが進み続ける原動力になるのだ。

 

「努力に裏付けられた自信」は、自分がこれだけ努力してきたんだから大丈夫、やれる、そう思うこと。この言葉はありきたりだが、「自信に裏付けられた努力」というのも在るのではないだろうか。例えば。私が毎日勉強しているのは、東大に受かるという自信が存在するからで、はじめから0%だと思ってたら受験勉強なんてしない。不安になった時も心のどこかに「もしかしたら合格できるかもしれない」という希望や自信があるから、勉強し続けるんだ。努力を継続するためには自信が必要だということを言いたい。努力しないと自信が得られないのも確かだから、要は努力と自信は相互依存ってわけだ。そして先に述べたように自信を持つためには自己分析が肝要である。

 

自分を知りたい、その欲求はある部分で自信を持ちたいという欲求なのかもしれない。