期待と不安

東大に合格してから10日以上経ったけど、合格してから大学に入るまでのこの期間の考えをまとめておく。

合格の喜びだけに浸っていられたのは3月10日と11日だけだった。12日に実際にキャンパスに行って、説明会に参加したりサークル看板を見ているうちに、わかってはいたものの所謂「大学受験はゴールじゃない、通過地点にすぎない」ということを体感した。大学の授業が面白そう、難しそう、社会意識が高い人が多そう、このゼミに興味がある、、優秀な人が集まる大学に入ることの期待と不安をたくさん感じた。体育会と担任助手やるなら、大学でもかなり頑張らないといけない。

お泊まりが続いて睡眠時間と暇な時間が減る中で、卒業式の動画作成、合格報告会のパワポ作り、担任助手をやるかを決めてくること、、、一つ一つは大したことないけどやらなきゃいけないことを考えたら「もうやだ!キャパオーバーだよ!」って16日にキツくなった。1日で割と重要なタスクが3つ増えたからそうなるわな。でもそのとき頭に浮かんだのは、東大受験直前、緊張と不安が迫る中、誰もいなくて暗い電気しかない部屋で1人勉強してた自分だった。今までの人生で1番頑張ってたと自分で思える時期。あれくらいやってたんだから、タスクが多くても大変でもなんとかなるんじゃねっていう謎の自信。

 

この日だけに限らず事あるごとに思い出すのは、合格発表を見たときの自分じゃなくて、頑張ってた自分。東大で活動する前の今の段階において、私は東大に合格した事じゃなくて東大を目指して努力したという事に意味があったと思ってる。

東大に合格したっていうその表面的な事実は何も私を変えてない。ここ1−2週間で3回くらい高校の友達と寝泊まりして、みんながどこの大学に行くとかもう一年頑張るとか、大学についての話も多かったけど、皆も私もいい意味で変わってない。こういうことは受かったから言えることだけど、もし不合格だった場合にもう1年東大にこだわる必要はなかったのかもしれないと最近思うようになった。どこの大学に行ってもそれは人生全体を決定するものじゃないはず。

後期の対策期間、チャラチャラ遊んでる人たちの話を聞いて「皆より早く受験勉強を開始して頑張ってきたはずなのに、どうして皆より遅くまで受験勉強しなきゃいけないわけ?あなたたちはもう受験から解放されて程良い大学に行けんの?それっておかしくない?私が頑張ってきたことは報われなかったら何になるの?」って他人と比べて卑屈になってた日もあった。報われて本当によかったけど、もしダメだったとしても頑張ってたことは無意味じゃなくてしっかり自分の糧になったのだろう。

 

自己紹介の時、日本人は「〇〇会社の佐藤です。」というのに対して欧米人は「佐藤です。今は〇〇会社に勤務しています。」ということが多いと本で読んだことがある。日本人は所属意識、集団意識が強い傾向にあるが、どこかに属したところで中身が直接的に変わるのではない。環境の影響を受けるにせよ、どう変わるかは自分次第ですよね。

 

「東大生である=受験勉強ができた」というのは正しいけど、「東大生=仕事ができる、頭がいい」ではないんだよね。頭がいいのと成績がいいのは違うことだし、東大に合格したことは人間的に優れていることを意味しない。日本では東大生に対して過度な期待や先入観が強いと思う。良くも悪くも学歴社会、、ある程度学歴は信頼できるものだと思うけど、学歴で語れるもんなんてほんの一部だろ。

東大の担任助手2人が前に「東大って言ったら高校生に畏怖されることあるけど、え、どうしよってなって本当に困る。」「東大生ってだけで周りの大人に期待されてプレッシャーを感じることが多い」ってそれぞれ言ってた。合格する前はわからなかったけど、それがもう既に理解できてしまう。

学校の関わりが少なかった先生から「まさか東大に受かるとはね。あなたがこれからどう生きていくか注目されるだろうから頑張ってね」みたいなことを言われ、嬉しい反面いやそんなプレッシャーかけんなよって思った。塾で残って報告会準備の作業してたら校舎長に「さすがだね」的なことを言われ、釈然としなかった。

ヤンキーが捨て猫を拾ったら驚かれ誉められるけど、生徒会長が同じことをしても流石って言われるだけ。これ社会心理学でナントカ窓効果みたいな名前あったなーー

東大に合格したから優秀だろうみたいな前提やめてほしい。私の場合は東大に合格したのは元々優秀だからじゃなくてただ頑張っただけなんだよ。その努力も知らずに東大生っていう名目だけで判断されるのは嫌だ。私もそう考えてしまうことあるから仕方ないことだけど。東大に入ったからこそ得られるものはたくさんあるだろうからそれを享受したい。物事メリットデメリットあるよね。

 

あと、大学でできる友達って高校ほど親密じゃない、ほぼ1人みたいな感じって話はよく聞くので、知り合いがほぼいない私は心配な限り。

この期間で考えたことをまとまりなくダラダラと書いたけど、まあ

なるようになるさ。

 

世界史塾消えるから貼っとく

~どうしてこうも全く反対のことを言う人がたくさんいるんだろう。

でも、たくさん講演をさせてもらって、たくさんの方の反応を見ていて何となくわかってきた。

きっと、「死ぬ気で何かを頑張った」ことがある人と、そうでない人。

この違いなんじゃないかって、思ったんだ。

勉強でも、スポーツでも、音楽でも何でも、死ぬ気で何かを頑張った経験がある人は、それなりに結果も出して、それで自分のステージを上げてる。

こういう人たちは知ってる。奇跡なんかじゃない。

ちゃんとそこには、血のにじむ努力があったし、それに対してのまっとうな結果が、ちゃんと出ただけだってことを。~

「死ぬ気で何かを頑張るっていう経験をする。その経験こそが、君の一生の宝になるんだよ。そういう経験を持ってる人は、大丈夫。どこに行っても、大丈夫だ」

さやかさんは、坪田塾長からこう言われていました。

人生の中で最も大切な真理なのではないかと思います。

死ぬ気で努力する経験をすることで、どんな逆境にも負けないようになる。

そして、人の可能性をどこまでも信じられるようになる。

そういう最も大切なことを受験勉強を通して経験しているのだと思います。