旧優生保護法のもと、生殖機能を取られた北さんが仰った。
「国よ、謝ってください。無念の思いで生きたくありません。謝ってください!!」
謝るという行為には、2つの意味が含まれていると思う。1つは、自らのあやまちを認めること。もうひとつは、赦しを請うこと。
勿論、常に両方含むわけではなく一方のこともあるだろう。
ジャンケレヴィッチの著作に『われわれは許しを請う声を聞いたか』がある。自分の子どもを殺した犯人に対して、相手も反省して苦しい生活を送っているだろうから赦そうと思っていたが、会ってみると弁護士として成功し立派な人として敬われていることを知り、赦せなくなったという話である。
一般に私達は赦すとき、相手が赦しを請うていることが重要になる。
北さんが「謝ってください」と言ったのは、相手が過ちを認めることよりも、相手が赦しを請うことで自分が赦し、その上で生きたいという事ではないか?
ただ、謝る時に、赦されるつもりはないという人がいれば、謝ったら赦されるから謝らない、という人もいる。